とうふでも、切り方で、四角四面が、丸くなります。
もっとも、とうふを丸く切るというか納めるには、包丁の技をこえたところもあります。
映画 フーテンの寅さんの啖呵売ではありませんが、<四角四面はとうふ屋の娘、色は白いが水くさい>となります。また、この口上の前文句が、<四はいけない。死んじゃった。しくじった。身上しまった。>とあります。
私は、店を持ちたくて、必死に働きましたが、身上こそしまいませんが、しくじったという後悔が多いです。まだ、この世に未練がありますから、今度は、死なんように働こうと思っています。今、働かせていただいているお店は、四人です。これは、四はいけないではなくて、四は4合わせと思っていたいですね。このお店の草木の手入れに、かかわっていたら、クローバーの花をたくさん見ることができました。感謝。
日本料理のええところにもどります。包丁の技です。板前というくらいですから、まな板と包丁を、とても、吟味されます。
わかりやすいところでいえば、野菜の切り方にあるといっていいかな?
それも、食べやすいというところにあります。
私は、53歳にて、左奥歯3本ブリッジとなり、なるほどと納得した次第です。
もう、食べにくいのなんのって、なれるのに一カ月はかかりそう、めげそう。
師の村上祥子は、朝日新聞<夕>5月16日から20日付き
<人生の贈り物>というタイトルで
<ちゃんと、食べて、ちゃんと生きる>と書いておりますが、
これは、御自身の闘病40代で4年間義歯なしという経験からです。
<舌とあごでも、結構たべられる、普通のもの、美味しいものを作りたい>
そのためには、刻み食、ミキサー食では、食べる意欲がわかない。
包丁を一本いれるか、どうかで、美味しさがちがってきます。
たくあんのつながったものと、はもの骨切りは、皮一枚のところがちがうのです。
<あっぱれ>は、真っ正直で型破り、束縛されることが、大嫌いなとことですが、
我慢することだけが、日本人、ひいては、日本料理の修行における美徳とされているところが有り。我慢するのに慣れていると、深く考えることが苦手になります。
なんで、我慢するのかを考えることはいいことです。なぜ、ここに包丁を入れると食べやすくて美味しいかと考えれば、その素材の持っている水気が、口の中で、噛んだ時にはじけるからです。
私が、包丁を気を入れて、最初に買ったのは、下内屋という金物屋です。
ここは、今もですが、なぜ包丁が切れるのか?切れる包丁を維持するにはどうするのか?まで、相談に乗ってくれます。砥石の品揃えもいいですが、25年前には、信号をはさんで、向かいの大和屋という金物屋まで紹介してくれました。そこへ、研ぎに持っていったら、<どこからきた>とたずねられ<下内屋>と答えたら、いい仕事をしてくれました。
これも、あっぱれな商売だと思いませんか?
もっとも、とうふを丸く切るというか納めるには、包丁の技をこえたところもあります。
映画 フーテンの寅さんの啖呵売ではありませんが、<四角四面はとうふ屋の娘、色は白いが水くさい>となります。また、この口上の前文句が、<四はいけない。死んじゃった。しくじった。身上しまった。>とあります。
私は、店を持ちたくて、必死に働きましたが、身上こそしまいませんが、しくじったという後悔が多いです。まだ、この世に未練がありますから、今度は、死なんように働こうと思っています。今、働かせていただいているお店は、四人です。これは、四はいけないではなくて、四は4合わせと思っていたいですね。このお店の草木の手入れに、かかわっていたら、クローバーの花をたくさん見ることができました。感謝。
日本料理のええところにもどります。包丁の技です。板前というくらいですから、まな板と包丁を、とても、吟味されます。
わかりやすいところでいえば、野菜の切り方にあるといっていいかな?
それも、食べやすいというところにあります。
私は、53歳にて、左奥歯3本ブリッジとなり、なるほどと納得した次第です。
もう、食べにくいのなんのって、なれるのに一カ月はかかりそう、めげそう。
師の村上祥子は、朝日新聞<夕>5月16日から20日付き
<人生の贈り物>というタイトルで
<ちゃんと、食べて、ちゃんと生きる>と書いておりますが、
これは、御自身の闘病40代で4年間義歯なしという経験からです。
<舌とあごでも、結構たべられる、普通のもの、美味しいものを作りたい>
そのためには、刻み食、ミキサー食では、食べる意欲がわかない。
包丁を一本いれるか、どうかで、美味しさがちがってきます。
たくあんのつながったものと、はもの骨切りは、皮一枚のところがちがうのです。
<あっぱれ>は、真っ正直で型破り、束縛されることが、大嫌いなとことですが、
我慢することだけが、日本人、ひいては、日本料理の修行における美徳とされているところが有り。我慢するのに慣れていると、深く考えることが苦手になります。
なんで、我慢するのかを考えることはいいことです。なぜ、ここに包丁を入れると食べやすくて美味しいかと考えれば、その素材の持っている水気が、口の中で、噛んだ時にはじけるからです。
私が、包丁を気を入れて、最初に買ったのは、下内屋という金物屋です。
ここは、今もですが、なぜ包丁が切れるのか?切れる包丁を維持するにはどうするのか?まで、相談に乗ってくれます。砥石の品揃えもいいですが、25年前には、信号をはさんで、向かいの大和屋という金物屋まで紹介してくれました。そこへ、研ぎに持っていったら、<どこからきた>とたずねられ<下内屋>と答えたら、いい仕事をしてくれました。
これも、あっぱれな商売だと思いませんか?
何で、おからというのですか?という質問が届きました。
今は言葉を選ぶ時代なので、おからという言葉を避けて「卯の花」
「雪花菜」などと言いますが、やっぱり「おから」。大豆から豆乳を絞ったあとの絞りカス。空(から)に通じるので、避けているだけです。空っぽの財布は悔しいけれど、空っぽの財布でもなんとか美味しいものをと考えたのでしょう。空っぽの財布にお金が入ってくるように「おから炒り(入り)」と言います。
ただ、毎日のようにおからを食べさせられるのは嫌でしょう。また、おからは少しでも美味しく作ろうと思えば美味しいものを足さなくてはなりません。ダシにしろ具にしろ、凝ればキリがないのです。決して冷蔵庫のお掃除料理ではありません。大豆をもどして煮ると2.5倍に増えますが、おからも2.5倍に増えます。だから、おからは好きなんだけど、増えすぎるから嫌という人もいます。いっそ3軒分ぐらいでおすそわけできたら、一番美味しいかもしれませんね。
また、昔、よく食べたと回想する人は、今は成功というか自分に満足している人、自分をほめてあげたい人です。貧乏時代にさんざん食べたから嫌という人は、子孫への憂いをもっている人です。
私はとうふ屋桂庵ですから、おからの料理と大豆の料理だけは週2回、プライベートでも、作り続け、食べ続けています。おすそわけを喜んでくれる人がいてくれるからです。
健康を言うことでおからの料理を売るのが,
昨今ですが、それよりも,
この世で、<一番まずいものがおからで、一番うまいものがおから>、と言いきってみませんか。私と友達づきあいを15年近く続けてくれている田村隆氏は、話してくれてます。
彼は、つきぢ田村の3代目です。うまいもまずいも作り手次第。おからを空っぽと嘆くよりも、どんどん入ってくる、また,
どんどん差しあげる、そんな人生観でいたいですね。
PS
おからばかりと嘆く禅寺の小僧さんに、
<つりしのぶ>と<ややとと>よりもええと諭す話があります。
空っぽの財布でも体裁をととのえなくてはならなかったお公家さんの生活を
言ってます。<大根の葉>と<煮干し>のことですが、これとても、
作り手次第です。
今は言葉を選ぶ時代なので、おからという言葉を避けて「卯の花」
「雪花菜」などと言いますが、やっぱり「おから」。大豆から豆乳を絞ったあとの絞りカス。空(から)に通じるので、避けているだけです。空っぽの財布は悔しいけれど、空っぽの財布でもなんとか美味しいものをと考えたのでしょう。空っぽの財布にお金が入ってくるように「おから炒り(入り)」と言います。
ただ、毎日のようにおからを食べさせられるのは嫌でしょう。また、おからは少しでも美味しく作ろうと思えば美味しいものを足さなくてはなりません。ダシにしろ具にしろ、凝ればキリがないのです。決して冷蔵庫のお掃除料理ではありません。大豆をもどして煮ると2.5倍に増えますが、おからも2.5倍に増えます。だから、おからは好きなんだけど、増えすぎるから嫌という人もいます。いっそ3軒分ぐらいでおすそわけできたら、一番美味しいかもしれませんね。
また、昔、よく食べたと回想する人は、今は成功というか自分に満足している人、自分をほめてあげたい人です。貧乏時代にさんざん食べたから嫌という人は、子孫への憂いをもっている人です。
私はとうふ屋桂庵ですから、おからの料理と大豆の料理だけは週2回、プライベートでも、作り続け、食べ続けています。おすそわけを喜んでくれる人がいてくれるからです。
健康を言うことでおからの料理を売るのが,
昨今ですが、それよりも,
この世で、<一番まずいものがおからで、一番うまいものがおから>、と言いきってみませんか。私と友達づきあいを15年近く続けてくれている田村隆氏は、話してくれてます。
彼は、つきぢ田村の3代目です。うまいもまずいも作り手次第。おからを空っぽと嘆くよりも、どんどん入ってくる、また,
どんどん差しあげる、そんな人生観でいたいですね。
PS
おからばかりと嘆く禅寺の小僧さんに、
<つりしのぶ>と<ややとと>よりもええと諭す話があります。
空っぽの財布でも体裁をととのえなくてはならなかったお公家さんの生活を
言ってます。<大根の葉>と<煮干し>のことですが、これとても、
作り手次第です。

とうふ屋桂庵にも茶釜があります。
お茶をたてるには、ポットの湯でもいいのですが、そこは【茶釜】で湯をとるだけで、おごそかな気持ちになります。
茶の湯英会話では KAMAと名詞をつけますが、訳すときは、KETTLEとなります。湯を沸かすという動作に、精神性を求めるのでしょうね。
この時の時間がかかりすぎてもいけないし、量が多すぎてもいけないのです。
「心」を表している英単語は・MIND(知性)・・これは頭で考えることです。
・HEART(感情)・・これは頭で考えててもどうにもならないことです。
・SOUL(魂)・・感情をのりこえた力強さのことです。
○お湯を沸かす時間は・MINDにあたります。
○お湯の量は・HEARTにあたります。
○それで、お茶をさしあげたいという気持ちが・SOULにあたります。
私は、今、仕事をさせていただいている所では3時半と5時半にコーヒーをい
だいています。これもSOULです。「心」からありがたいと思っていただき
ます。
【茶釜】も季節に合わせて※夏は涼しく※冬は暖かくにあわせて、
座敷のしつらいとともに 変わります。
今年は梅雨入りが早かったのですが、例年どうりで風炉にかわりました。
:余禄:
変わらないのは新家の松尾とくさんの所の文福茶釜です。これは買って
以来、湯を沸かしたこともなくて、錆びないように、なんと!ダスキンで
交換日にあわせて磨いています。
でも、楽しい【茶釜】でわかりやすい形です。
いつも<あがりはな>から、よく見えるので、
ちょうど、たぬきの置物のようです。
お茶をたてるには、ポットの湯でもいいのですが、そこは【茶釜】で湯をとるだけで、おごそかな気持ちになります。
茶の湯英会話では KAMAと名詞をつけますが、訳すときは、KETTLEとなります。湯を沸かすという動作に、精神性を求めるのでしょうね。
この時の時間がかかりすぎてもいけないし、量が多すぎてもいけないのです。
「心」を表している英単語は・MIND(知性)・・これは頭で考えることです。
・HEART(感情)・・これは頭で考えててもどうにもならないことです。
・SOUL(魂)・・感情をのりこえた力強さのことです。
○お湯を沸かす時間は・MINDにあたります。
○お湯の量は・HEARTにあたります。
○それで、お茶をさしあげたいという気持ちが・SOULにあたります。
私は、今、仕事をさせていただいている所では3時半と5時半にコーヒーをい
だいています。これもSOULです。「心」からありがたいと思っていただき
ます。
【茶釜】も季節に合わせて※夏は涼しく※冬は暖かくにあわせて、
座敷のしつらいとともに 変わります。
今年は梅雨入りが早かったのですが、例年どうりで風炉にかわりました。
:余禄:
変わらないのは新家の松尾とくさんの所の文福茶釜です。これは買って
以来、湯を沸かしたこともなくて、錆びないように、なんと!ダスキンで
交換日にあわせて磨いています。
でも、楽しい【茶釜】でわかりやすい形です。
いつも<あがりはな>から、よく見えるので、
ちょうど、たぬきの置物のようです。
今年も食品衛生責任者講習会に行ってきました。今年は、やはり、肉の生食の件が話題になりました。
朝日新聞6/3の記事では、肉の「生食」は悪しき習慣とまでも、九州大学教授(細菌学)が言い切っておられます。
私は、ステーキを食べるのには、必ずしも【ウェルダン】と思いません。
【レア】も【ミディアム】も大好きです。
ただ安さだけに、興味が集中しては絶対いけません。
《お手軽》を《手抜き》とまぜこぜにしては絶対いけません。
食べる方も作る方もですが・・・【食肉リスク】を知ることです。
とうふ屋桂庵では【生食】をお出ししております。豆腐も生なら,
刺身も生です。衛生を追求しすぎて豆腐をグラグラ煮て冷やした【冷奴】は出したくはありません。
というわけで、生肉のトリミングも、次亜塩素酸ナトリウム溶液の作り方も知るために、衛生講習会は必ず出席します。
今年は仕事の関係で地元では日程が合わなかったので、案内より先に保健所にコンタクトをとりました。保健所は親切です。感謝!!
昨年までは無料でしたが、今年からは1000円負担になりました。
講習者の言葉は昨年までは「ねむたかったね」から、今年からは「むづかしかったね」になるかな??
朝日新聞6/3の記事では、肉の「生食」は悪しき習慣とまでも、九州大学教授(細菌学)が言い切っておられます。
私は、ステーキを食べるのには、必ずしも【ウェルダン】と思いません。
【レア】も【ミディアム】も大好きです。
ただ安さだけに、興味が集中しては絶対いけません。
《お手軽》を《手抜き》とまぜこぜにしては絶対いけません。
食べる方も作る方もですが・・・【食肉リスク】を知ることです。
とうふ屋桂庵では【生食】をお出ししております。豆腐も生なら,
刺身も生です。衛生を追求しすぎて豆腐をグラグラ煮て冷やした【冷奴】は出したくはありません。
というわけで、生肉のトリミングも、次亜塩素酸ナトリウム溶液の作り方も知るために、衛生講習会は必ず出席します。
今年は仕事の関係で地元では日程が合わなかったので、案内より先に保健所にコンタクトをとりました。保健所は親切です。感謝!!
昨年までは無料でしたが、今年からは1000円負担になりました。
講習者の言葉は昨年までは「ねむたかったね」から、今年からは「むづかしかったね」になるかな??
みなさんは、懐石料理と会席料理ではどちらの料理を食べたいですか?
同じ読み方のために、混同しがちですが、本来は違うものです。
懐石料理はお茶会の折に茶席で食べる料理で、本来はお茶をおいしくいただ
くたための、簡素な料理です。
会席のほうは、いわば、お酒を楽しんだりするための料理です。江戸時代、接待や会合にと利用されることが頻繁になった料理茶屋が、本膳料理や懐石料理など、それまでのいろいろな料理のスタイルからいいところを取り入れ、酒宴向きの料理を工夫したのが始まりかな。
一般には懐石の手順をふまえた店もありますが、多くは店独自の工夫で自由な膳組にしていて懐石のように特に厳しい膳組や作法はないようです。
というわけですが、とうふ屋桂庵では、席をかえて抹茶とお菓子を最後にお出ししたくて、はじめたお店ですが・・・
どうかすると、旅の宿みたいに、最初にお出しすることもあります。
それは「来てくださってありがとう」とひといきいれて、くつろいでもらいたいからです。
懐石の作法をとびこえて心だけ伝えたいのは、私のおごりでしょうか?
でも抹茶のお菓子を工夫するのは、とても楽しいです。先日のお客様には「び
わ」の形の生菓子を続くお食事にさしつかえないように20gで仕上げまし
た。お客様が、美殿町にあるお店みたいとほめていただけました。
そうそう、ここのお店のだいすけくんとは日本菓子専門学校で一緒しまし
た「懐かしいなぁ~」
とうふ屋桂庵は、厳しい膳組や作法はない店ですが一度、懐石の雰囲気を
味わってください。
同じ読み方のために、混同しがちですが、本来は違うものです。
懐石料理はお茶会の折に茶席で食べる料理で、本来はお茶をおいしくいただ
くたための、簡素な料理です。
会席のほうは、いわば、お酒を楽しんだりするための料理です。江戸時代、接待や会合にと利用されることが頻繁になった料理茶屋が、本膳料理や懐石料理など、それまでのいろいろな料理のスタイルからいいところを取り入れ、酒宴向きの料理を工夫したのが始まりかな。
一般には懐石の手順をふまえた店もありますが、多くは店独自の工夫で自由な膳組にしていて懐石のように特に厳しい膳組や作法はないようです。
というわけですが、とうふ屋桂庵では、席をかえて抹茶とお菓子を最後にお出ししたくて、はじめたお店ですが・・・
どうかすると、旅の宿みたいに、最初にお出しすることもあります。
それは「来てくださってありがとう」とひといきいれて、くつろいでもらいたいからです。
懐石の作法をとびこえて心だけ伝えたいのは、私のおごりでしょうか?
でも抹茶のお菓子を工夫するのは、とても楽しいです。先日のお客様には「び
わ」の形の生菓子を続くお食事にさしつかえないように20gで仕上げまし
た。お客様が、美殿町にあるお店みたいとほめていただけました。
そうそう、ここのお店のだいすけくんとは日本菓子専門学校で一緒しまし
た「懐かしいなぁ~」
とうふ屋桂庵は、厳しい膳組や作法はない店ですが一度、懐石の雰囲気を
味わってください。

豆腐料理のひとつです。
さっそく、色々な方からメールをいただだきました。
その中で奉書巻きのことをお正月の料理ですが、かぶの千枚漬けでスモークサーモンを巻いて三つ葉で結ぶ料理を習ったことをメールで下さいました。
また、奉書を≪捧げる言葉≫とメールを下さった男性もみえます。
そうですよね、奉書巻の料理は、白い食べ物で巻いて奉書のように見える料理です。
それと奉書のごとく、心の伝わるものが良いですよね!
もう一人、うつ病(自称)の方からメールをいただきました。彼女は行動は大胆ですが、人の言葉には繊細です。(血液型はA型かな)
今は、どうしても作る気になれないといって、いちごのへたをとって鍋に入れて砂糖とレモンをつけて友達に届けたそうです。そうして彼女の友達が作ったという熱々のジャムを頂きました。本当に手作りっておいしいですネ。【感謝】
私も気がめいっています。それというのも、豆腐の奉書巻がうまく作れないことです。豆腐をメインにすると大きくなりすぎることです。
また、写真の奉書巻では【寿】の焼き印を押していますが、やわらかくて水分の多い豆腐を、いかにして、水切りして巻くか?焼き印を押すか?悩んでいます!!
先日のお客さんには、焼き印を押さず<羽衣豆腐>としてお出ししました。
あ~ぁ料理の道は苦しいです。早く楽しい味にしたいです。
さっそく、色々な方からメールをいただだきました。
その中で奉書巻きのことをお正月の料理ですが、かぶの千枚漬けでスモークサーモンを巻いて三つ葉で結ぶ料理を習ったことをメールで下さいました。
また、奉書を≪捧げる言葉≫とメールを下さった男性もみえます。
そうですよね、奉書巻の料理は、白い食べ物で巻いて奉書のように見える料理です。
それと奉書のごとく、心の伝わるものが良いですよね!
もう一人、うつ病(自称)の方からメールをいただきました。彼女は行動は大胆ですが、人の言葉には繊細です。(血液型はA型かな)
今は、どうしても作る気になれないといって、いちごのへたをとって鍋に入れて砂糖とレモンをつけて友達に届けたそうです。そうして彼女の友達が作ったという熱々のジャムを頂きました。本当に手作りっておいしいですネ。【感謝】
私も気がめいっています。それというのも、豆腐の奉書巻がうまく作れないことです。豆腐をメインにすると大きくなりすぎることです。
また、写真の奉書巻では【寿】の焼き印を押していますが、やわらかくて水分の多い豆腐を、いかにして、水切りして巻くか?焼き印を押すか?悩んでいます!!
先日のお客さんには、焼き印を押さず<羽衣豆腐>としてお出ししました。
あ~ぁ料理の道は苦しいです。早く楽しい味にしたいです。

一客一亭というより一組様一亭かな?
一客一亭とは、ただ一人のお客として催す茶席のことです。亭主は給仕をしながら客と共に食べて相伴することですが、一般的には一日、一組様だけのお客様をもてなしているお店の様です。
はっきりいって、とうふ屋桂庵は、趣味のお店です。
かって、柳ケ瀬の店の近くにある市議の山田大先生に相談した時の話では、<月3万の赤字までだったら趣味のお店でも継続できるよ>といってくれました。
まわりには、一客一亭の店ではないけど、一客一亭の仕事をしていると思います。業種は違えども、接客はおなじです。
たとえば、F美容院の友達は<彼女は3代目、彼女の店は創業99年かな?
>、一人で一人のお客さんを受けてたり、また、今、お仕事をさせていただいておりますあるお店では、一人のお客さんの色々な要望にこたえろとて、
全くの雑談の様でいて、しっかりと受け止めておられます。
鰻の串は1本80円なれど、200本を完璧に揃えるなかで、
鰻の稚魚の暴騰から、大昔のレディースのためのランチメニューまで、
幅広い話題で、それでいて、本人は、全く出過ぎない素晴らしい女将さんです。
この店で働かせていただき、ありがとうございます。
4代目として、私は、ブログには書けない葛藤もあったのです。
また、先輩のTさん、<私のものいい>をほめてくださってありがとうございます。感謝の気持ちだけはまけないところが、唯一のとりえかな?
これからも、趣味の店として継続していきますのでよろしく。趣味の店といっても料理は、プロ意識を持って真心のこもったものをお出ししたいと思います。
それから、報告します。
かって、ブログのファンの皆様に約束した、小説を6月までに、
400字で100枚書くことですが、できません。
店を続けていくことによって、関わりのあった方の事を書きたかったのですが、
書くことによって、誰かの損になるようではいけません。
小説は随筆の様に書き、随筆は小説の様に書く。
事実を書くのは紀行文。こういって、指導をして下さったのは、
三木秀生先生です。台風の日に先生のお宅の近くで、1時間待って、考えた決断です。私は、なによりも、関わりのあった方に損をさせたくないのです。
野心は捨てました。ありのままの苦悩を受け止めてくださった先生、ありがとうございます。
一客一亭とは、ただ一人のお客として催す茶席のことです。亭主は給仕をしながら客と共に食べて相伴することですが、一般的には一日、一組様だけのお客様をもてなしているお店の様です。
はっきりいって、とうふ屋桂庵は、趣味のお店です。
かって、柳ケ瀬の店の近くにある市議の山田大先生に相談した時の話では、<月3万の赤字までだったら趣味のお店でも継続できるよ>といってくれました。
まわりには、一客一亭の店ではないけど、一客一亭の仕事をしていると思います。業種は違えども、接客はおなじです。
たとえば、F美容院の友達は<彼女は3代目、彼女の店は創業99年かな?
>、一人で一人のお客さんを受けてたり、また、今、お仕事をさせていただいておりますあるお店では、一人のお客さんの色々な要望にこたえろとて、
全くの雑談の様でいて、しっかりと受け止めておられます。
鰻の串は1本80円なれど、200本を完璧に揃えるなかで、
鰻の稚魚の暴騰から、大昔のレディースのためのランチメニューまで、
幅広い話題で、それでいて、本人は、全く出過ぎない素晴らしい女将さんです。
この店で働かせていただき、ありがとうございます。
4代目として、私は、ブログには書けない葛藤もあったのです。
また、先輩のTさん、<私のものいい>をほめてくださってありがとうございます。感謝の気持ちだけはまけないところが、唯一のとりえかな?
これからも、趣味の店として継続していきますのでよろしく。趣味の店といっても料理は、プロ意識を持って真心のこもったものをお出ししたいと思います。
それから、報告します。
かって、ブログのファンの皆様に約束した、小説を6月までに、
400字で100枚書くことですが、できません。
店を続けていくことによって、関わりのあった方の事を書きたかったのですが、
書くことによって、誰かの損になるようではいけません。
小説は随筆の様に書き、随筆は小説の様に書く。
事実を書くのは紀行文。こういって、指導をして下さったのは、
三木秀生先生です。台風の日に先生のお宅の近くで、1時間待って、考えた決断です。私は、なによりも、関わりのあった方に損をさせたくないのです。
野心は捨てました。ありのままの苦悩を受け止めてくださった先生、ありがとうございます。
隠れ家は、人にはあまり知られたくないが、店としては皆に知ってもらいたいよね!
というわけですが、
とうふ屋桂庵は、本町5丁目にありますが、本町4丁目には、貝崎さんと
湯葉勇さんというお店があります。
こちらは、隠れ家ではなくて、有名です。
貝崎さんも、湯葉勇さんも、毎日新聞の<茶のおじさん>の似顔絵つき
コラムで紹介されています。歴史探訪をかねて、散策される方が、
ときどき、迷い?こんでこられます。
在宅なら、お茶の一杯もさしあげるのですが、ままならず、メールを
いただいたり、お問い合わせをいただいたりして恐縮しております。
みたほらのYさん、ありがとうございます。
常在寺なら、斎藤道三。
妙照寺なら、松尾芭蕉。
それなのに、織田信長をイメージしてしまいましたのは、どちらも、
日蓮宗のお寺でありまして、松尾家が法華寺の檀家であるからです。
ここのお寺は、観光客も、めったにいきませんが、信長手植えの松が
あったりしました。その名残で、花見をなさったりします。最近こそ、住職が、<福丸>という
鯛焼き屋さんのコラボで探訪の話をなさっています。
とうふ屋桂庵は、一客一亭の店です。
単品ではなく、いろいろ、食べていただくお店です。
料理の写真を掲載することもないので、我儘です。そんなところから、
隠れ家は、不安な店?かな?御予約をお受けした段階で、季節、趣向をくみたてますので、よろしくお願いします。
信長は我儘でしたが、<アルヘイトウ>も<コンペイトウ>も大好き?
でした。また、繊細なものに憧れていながら、野趣豊かな味付けも
好きでした。隠れ家もそうありたいですね。
というわけですが、
とうふ屋桂庵は、本町5丁目にありますが、本町4丁目には、貝崎さんと
湯葉勇さんというお店があります。
こちらは、隠れ家ではなくて、有名です。
貝崎さんも、湯葉勇さんも、毎日新聞の<茶のおじさん>の似顔絵つき
コラムで紹介されています。歴史探訪をかねて、散策される方が、
ときどき、迷い?こんでこられます。
在宅なら、お茶の一杯もさしあげるのですが、ままならず、メールを
いただいたり、お問い合わせをいただいたりして恐縮しております。
みたほらのYさん、ありがとうございます。
常在寺なら、斎藤道三。
妙照寺なら、松尾芭蕉。
それなのに、織田信長をイメージしてしまいましたのは、どちらも、
日蓮宗のお寺でありまして、松尾家が法華寺の檀家であるからです。
ここのお寺は、観光客も、めったにいきませんが、信長手植えの松が
あったりしました。その名残で、花見をなさったりします。最近こそ、住職が、<福丸>という
鯛焼き屋さんのコラボで探訪の話をなさっています。
とうふ屋桂庵は、一客一亭の店です。
単品ではなく、いろいろ、食べていただくお店です。
料理の写真を掲載することもないので、我儘です。そんなところから、
隠れ家は、不安な店?かな?御予約をお受けした段階で、季節、趣向をくみたてますので、よろしくお願いします。
信長は我儘でしたが、<アルヘイトウ>も<コンペイトウ>も大好き?
でした。また、繊細なものに憧れていながら、野趣豊かな味付けも
好きでした。隠れ家もそうありたいですね。
「光陽亭」からの発信です。
岐阜市折立のバス停前にあるスパゲッティ専門店です。
看板メニューは名古屋名物あんかけスパゲッティです。
--------------------------------------------
rieさん、いつも、メールありがとうございます。
また、今日は、お問い合わせ窓口もご利用いただき、ありがとうございます。
さて、パスタ世代とスパ世代とに別れるのは、どうも、2000年を境の様です。わかりやすいところでは、私の青春時代の<たらスパ>は<壁の穴>でした。あの頃は、たらことバターを煉りあわせて、熱々のゆであげ麺にからませるのが美味しさの秘訣でしたが、最近はイタリアンブームで本家に里帰りで、オリーブ油でたらこをソテーしている店もあるほどです。
振りかける粉チーズも、パルメザンからパルミジャーノと変わってきています。パルメザンは、アメリカ製で、パリミジャーノはイタリア製です。
旨みの違いは、熟成に2年以上かかり、その間にたんぱく質がアミノ酸に分解されるところにあります。イタリアのマンマが、目方たっぷりのように
濃厚な乳脂肪分が32%です。そうそう、ヒデとロザンナという歌手がいたことを知っているのがスパ世代と言う説もあります。
日本人のヒデの消息は聞きませんが、イタリア人のロザンナは料理の方面で活躍と記憶にあります。
イタリアのマンマほど、目方はありませんが、食欲旺盛。
なんといっても、メインの前に、パスタかスープを選ぶお国柄です。
もっとも、スープといっても、野菜に豆にパンチエッタたっぷりの栄養満点スープですから、これだけでも、目方で勝負?
ちなみに、スパ世代では、オードブル並みのものがイタリアの麺と教わっていました。
パスタとスパの違いは?と大阪のおとったんからのメール。
考えているうちに、またまたUPが遅れてしまいました。
決定版。
パスタは、製法からは、乾燥と生とに分かれて、スパはロングパスタとよばれる。細い紐という意味。
ショートパスタは、マカロニ。
私が大好きなものは、表面に凹凸があってソースがよくからむもので、
ペンネ。イタリアの土産にもらうなら、リガーテと名が付いているものが
お薦めです。ただし、濃厚な味を好んでいると、目方も増えます。
お皿に残ったソースをパンですくって食べてもいいとテーブルマナーを
教わった人はスパ世代です。そこで、提案。
スパは半分に折ってゆでると、パスタと食感が似てきます。
おためしあ^れ。
ただし、ゆで汁を鍋から、ざるにざーっとあげてしまわないで、コランダーでひきあげることで、ソースがからみやすくなります。
それで、パスタパンとよばれる大鍋には、コランダーがついているのも
納得した次第です。一人分なら、直径18センチのゆきひら鍋で菜箸でひきあげてもいいのです。
人とお話するのは、自分の手のうちもあかさなくてはなりませんが、
そのなかで、自分も知らなかった悩みも発見できます。
私の悩みはなんでしょうね?目方よりも、増えすぎた調理道具かな?
≪超特大鍋は光陽亭が快くもらってくれました。≫
岐阜市折立のバス停前にあるスパゲッティ専門店です。
看板メニューは名古屋名物あんかけスパゲッティです。
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rieさん、いつも、メールありがとうございます。
また、今日は、お問い合わせ窓口もご利用いただき、ありがとうございます。
さて、パスタ世代とスパ世代とに別れるのは、どうも、2000年を境の様です。わかりやすいところでは、私の青春時代の<たらスパ>は<壁の穴>でした。あの頃は、たらことバターを煉りあわせて、熱々のゆであげ麺にからませるのが美味しさの秘訣でしたが、最近はイタリアンブームで本家に里帰りで、オリーブ油でたらこをソテーしている店もあるほどです。
振りかける粉チーズも、パルメザンからパルミジャーノと変わってきています。パルメザンは、アメリカ製で、パリミジャーノはイタリア製です。
旨みの違いは、熟成に2年以上かかり、その間にたんぱく質がアミノ酸に分解されるところにあります。イタリアのマンマが、目方たっぷりのように
濃厚な乳脂肪分が32%です。そうそう、ヒデとロザンナという歌手がいたことを知っているのがスパ世代と言う説もあります。
日本人のヒデの消息は聞きませんが、イタリア人のロザンナは料理の方面で活躍と記憶にあります。
イタリアのマンマほど、目方はありませんが、食欲旺盛。
なんといっても、メインの前に、パスタかスープを選ぶお国柄です。
もっとも、スープといっても、野菜に豆にパンチエッタたっぷりの栄養満点スープですから、これだけでも、目方で勝負?
ちなみに、スパ世代では、オードブル並みのものがイタリアの麺と教わっていました。
パスタとスパの違いは?と大阪のおとったんからのメール。
考えているうちに、またまたUPが遅れてしまいました。
決定版。
パスタは、製法からは、乾燥と生とに分かれて、スパはロングパスタとよばれる。細い紐という意味。
ショートパスタは、マカロニ。
私が大好きなものは、表面に凹凸があってソースがよくからむもので、
ペンネ。イタリアの土産にもらうなら、リガーテと名が付いているものが
お薦めです。ただし、濃厚な味を好んでいると、目方も増えます。
お皿に残ったソースをパンですくって食べてもいいとテーブルマナーを
教わった人はスパ世代です。そこで、提案。
スパは半分に折ってゆでると、パスタと食感が似てきます。
おためしあ^れ。
ただし、ゆで汁を鍋から、ざるにざーっとあげてしまわないで、コランダーでひきあげることで、ソースがからみやすくなります。
それで、パスタパンとよばれる大鍋には、コランダーがついているのも
納得した次第です。一人分なら、直径18センチのゆきひら鍋で菜箸でひきあげてもいいのです。
人とお話するのは、自分の手のうちもあかさなくてはなりませんが、
そのなかで、自分も知らなかった悩みも発見できます。
私の悩みはなんでしょうね?目方よりも、増えすぎた調理道具かな?
≪超特大鍋は光陽亭が快くもらってくれました。≫

よっちゃんより・・・・夏みかんは晩秋に実をつけると、初めて知りました。
という発信です。
【夏みかん】みかん科の果実で、別名ナツダイダイ、ナツカン、宝永年間(1704~1711年)山口県長門市仙崎海岸に漂着した果実の種を、お長という女性が拾ったのが始まりといわれています。
始めは子供たちの玩具代わりでしたが、ふとしたことから、人々はそのおいしさをしります。
海岸に流れ着いた一個の夏みかんが、明治維新後、萩の元侍たちの生活を支え、城下町を蘇らせることになったのです。
花は初夏に咲き、白い可憐な花です。そして、晩秋に青い実を付けます。ある時、萩の武家屋敷で樹上に実をのこしたまま年を越したことがありました。
やがて初夏の花の咲く頃に、子供が気がついて、木に登り、その黄金色に輝く実を取って食べてみたところ、あのきつい酸味が抜け、風味豊かで爽やかな果物に変わっていたのです。
この時から、この木の実は【夏みかん】と呼ばれるようになったと言われています。
こんな可憐な花が咲くころに、萩を旅したことがあります。
1985年に、師の村上祥子に出会いました。
萩では、夏みかんは商品化されずに、東京にいる明治時代の偉い人の子孫に送られているとバスガイド嬢の案内をきき、お金では買えないものに
ロマンをいだきました。そのときに、ご縁のあった三輪靖子さんから、
ずっと、毎年送られてきます。翌日に、北九州に渡り、師のところで、
、ご主人ともども、歓待してくださいました。
当時の御主人は、新日鉄のステキな地位にある方でした。
お土産にいただいたマーマレードの美味しさは、とにかく、ネスカフェの250gの瓶1本分という気前良さでした。
お金で買えないものに憧れて、10年作り続けて、1995年に師のクラスに通い出した時に、質問。
<答えは、萩の夏みかんはちょっと違うけどね>が答えでした。
どこが違うのでしようか?ということが言えなかったことだけ覚えています。今年も送られてきましたが、今年は作る意欲が、どうしてもありませんでした。
思いあまって、末時千賀子さんにSOS。
彼女が、北九州クラス開設のきっかけの人です。
彼女の答えを書きます。
毎日10個分ぐらいなら、皮をむけるでしょう。
実と皮と分けて冷凍。実は薄皮をとって、30~50%の砂糖をかけて、ものたりないひとには、メイプルシロップかはちみつを添えてごちそうすること。皮は、ピールを作れば、いつか、ケーキに入れられるでしょう。
萩の夏みかんなら、10日ぐらいなら、そのへんに置いておけばいいでしょう。
商品化されたフルーツは、最高に美味しい状態で冷蔵貯蔵庫から届く時代です。景気よく、その日に配るに限ります。
お金で買えないものは、一日悩んで、翌日配ることにしました。
悩んでいる一日で、砂糖と時間の工面がつけばいいのです。
今年は、クレームドカシスでマリネ。ゼリー寄せ。あとは、お金で買えないものを喜んでくれそうな人にもらっていただきました。
お金で買えないものは古いおつき合い。
三輪靖子さんは高齢です。
来年は、食べられないかもしれません。どうか、この味を覚えていてくださいね。
という発信です。
【夏みかん】みかん科の果実で、別名ナツダイダイ、ナツカン、宝永年間(1704~1711年)山口県長門市仙崎海岸に漂着した果実の種を、お長という女性が拾ったのが始まりといわれています。
始めは子供たちの玩具代わりでしたが、ふとしたことから、人々はそのおいしさをしります。
海岸に流れ着いた一個の夏みかんが、明治維新後、萩の元侍たちの生活を支え、城下町を蘇らせることになったのです。
花は初夏に咲き、白い可憐な花です。そして、晩秋に青い実を付けます。ある時、萩の武家屋敷で樹上に実をのこしたまま年を越したことがありました。
やがて初夏の花の咲く頃に、子供が気がついて、木に登り、その黄金色に輝く実を取って食べてみたところ、あのきつい酸味が抜け、風味豊かで爽やかな果物に変わっていたのです。
この時から、この木の実は【夏みかん】と呼ばれるようになったと言われています。
こんな可憐な花が咲くころに、萩を旅したことがあります。
1985年に、師の村上祥子に出会いました。
萩では、夏みかんは商品化されずに、東京にいる明治時代の偉い人の子孫に送られているとバスガイド嬢の案内をきき、お金では買えないものに
ロマンをいだきました。そのときに、ご縁のあった三輪靖子さんから、
ずっと、毎年送られてきます。翌日に、北九州に渡り、師のところで、
、ご主人ともども、歓待してくださいました。
当時の御主人は、新日鉄のステキな地位にある方でした。
お土産にいただいたマーマレードの美味しさは、とにかく、ネスカフェの250gの瓶1本分という気前良さでした。
お金で買えないものに憧れて、10年作り続けて、1995年に師のクラスに通い出した時に、質問。
<答えは、萩の夏みかんはちょっと違うけどね>が答えでした。
どこが違うのでしようか?ということが言えなかったことだけ覚えています。今年も送られてきましたが、今年は作る意欲が、どうしてもありませんでした。
思いあまって、末時千賀子さんにSOS。
彼女が、北九州クラス開設のきっかけの人です。
彼女の答えを書きます。
毎日10個分ぐらいなら、皮をむけるでしょう。
実と皮と分けて冷凍。実は薄皮をとって、30~50%の砂糖をかけて、ものたりないひとには、メイプルシロップかはちみつを添えてごちそうすること。皮は、ピールを作れば、いつか、ケーキに入れられるでしょう。
萩の夏みかんなら、10日ぐらいなら、そのへんに置いておけばいいでしょう。
商品化されたフルーツは、最高に美味しい状態で冷蔵貯蔵庫から届く時代です。景気よく、その日に配るに限ります。
お金で買えないものは、一日悩んで、翌日配ることにしました。
悩んでいる一日で、砂糖と時間の工面がつけばいいのです。
今年は、クレームドカシスでマリネ。ゼリー寄せ。あとは、お金で買えないものを喜んでくれそうな人にもらっていただきました。
お金で買えないものは古いおつき合い。
三輪靖子さんは高齢です。
来年は、食べられないかもしれません。どうか、この味を覚えていてくださいね。
