芥川賞作家で、福島県の臨済宗のお寺の住職であられます54歳の男性の
講演とサイン会に揖斐川町まで行ってきました。
テーマは、<この秋は雨か嵐かしらねども>でしたが、ええお話がいっぱいでした。松尾太郎くんを連れてきたらよかったのにと残念です。
11月3日にも、なんか、えらいひとがおみえになるそうですから、
大興寺
電話0585-22-2289まで連絡をなさってはいかがでしょうか?
私をみかけたら、声をかけてくださいね。
桂庵で粗茶など一服しんぜましょう。
一番前の席で講演を聴いていて、
いやなことは水に流してと、長良川をみては思ってきましたが、
それよりも、自然には勝てへんと風に流すように受け止めていきたいと
思うようになりました。
テーマの句の下の句は
今日のつとめの田草とるなりです。
このブログを今日のつとめとUPするのに時間がかかりましたことを
お詫びします。
ある手紙
感謝
母と主人と家族同様の男性と参加させていただきました。
<アブラクサスの祭>を購入させていただき、一番にサインを頂戴させていただきました。<言中有響>と書いていただけました。
生涯忘れないでしょう。本堂にこの書がかかっていると、帰りしなに
お手洗いをご一緒した老婦人に聞きました。ぜひとも、また ここに
ご縁があることを念じています。
玄侑先生すばらしい。
ぶしつけにも、このご本は原稿用紙何枚ですかと、思わず、口にしたら、
百八十枚と答えてくださいました。
私は百八十回感動して読むことをお約束します。
よろしくお伝えください。
帰途、松尾さいさんが、貴久家でご馳走してくれました。
二千円のお弁当にも、牛肉ともやしと牛蒡の紙鍋がつきます。
ありがとうね。
講演とサイン会に揖斐川町まで行ってきました。
テーマは、<この秋は雨か嵐かしらねども>でしたが、ええお話がいっぱいでした。松尾太郎くんを連れてきたらよかったのにと残念です。
11月3日にも、なんか、えらいひとがおみえになるそうですから、
大興寺
電話0585-22-2289まで連絡をなさってはいかがでしょうか?
私をみかけたら、声をかけてくださいね。
桂庵で粗茶など一服しんぜましょう。
一番前の席で講演を聴いていて、
いやなことは水に流してと、長良川をみては思ってきましたが、
それよりも、自然には勝てへんと風に流すように受け止めていきたいと
思うようになりました。
テーマの句の下の句は
今日のつとめの田草とるなりです。
このブログを今日のつとめとUPするのに時間がかかりましたことを
お詫びします。
ある手紙
感謝
母と主人と家族同様の男性と参加させていただきました。
<アブラクサスの祭>を購入させていただき、一番にサインを頂戴させていただきました。<言中有響>と書いていただけました。
生涯忘れないでしょう。本堂にこの書がかかっていると、帰りしなに
お手洗いをご一緒した老婦人に聞きました。ぜひとも、また ここに
ご縁があることを念じています。
玄侑先生すばらしい。
ぶしつけにも、このご本は原稿用紙何枚ですかと、思わず、口にしたら、
百八十枚と答えてくださいました。
私は百八十回感動して読むことをお約束します。
よろしくお伝えください。
帰途、松尾さいさんが、貴久家でご馳走してくれました。
二千円のお弁当にも、牛肉ともやしと牛蒡の紙鍋がつきます。
ありがとうね。
☆御馳走について書いてくれよ。
素敵な男性からのメールですが、相手が素敵なだけに、ヘタというか
ベタなことはかけへんやん。UPが遅れたことをお詫びします。
御馳走を辞書<32年前の岐阜市の成人式の引き出物>でひくと
1、もてなすこと
2、豪華な食事とあります。
御馳走字体の意味は、野山を走り回って、美味しいものをととのえる
ことであります。
よく、お客様にたずねられるのは、<どこで買っとんの?>です。
また、どこかの廉売スーパーで遭遇すると、<こんなとこで買っとんの?>であります。
店を持った当初は、中央市場まで仕入れに行っていました。
もちろん、今も、出かけますが、それ以前にアマチュアの時代のほうが
大人買いをしていたように思います。
<贅沢な材料を腹いっぱい食え>の感覚で、たとえば、海胆一箱を塩ふって
バーナーで焼くなんて料理もしていました。
豪快で評判も良かったことは、娘の友人が、今もって証言してくれます。
こうして、私の様な者が店を続けさせていただくうちには、ひとかけらの
海胆をいかにして、とうふとともに御満足いただけるかということに
苦心をしているように思います。
この苦心は、作る者の喜びであります。
どんなもんだいと胸をはりたくなります。私が喜びをいただいた上に
お代もいただける?もちろん、このブログへのお題もいただける?こんなけっこうなお商売はないと感謝です。
この男性には
<馳走であるか?かたじけない。じつに旨そうでござるな>という
セリフが似合いそうです。
江戸時代に白魚の料理を尊んだのは、
透明な白魚の頭が透けて見えたところが、脳の形が徳川家の葵のご紋ににていたからであります。徳川家康公が葵の紋のついた魚が獲れるとは、
万代の吉兆であると喜んだことだそうです。
白魚の脳ではありませんが、苦心をすることは脳をつかうことであります。
桐島洋子さんの本に聡明な女は料理が上手いというタイトルがあります。
うちの松尾とくさんいわく、ええおとこはええおんなをもとめる。
素敵なお客様には、素敵になりましょうか?
私は、材料を仕入れ、下ごしらえをしているときには、一心不乱で
身なりをかまいません。衛生しか脳にありません。
おもてなしのときには、着物をきます。
うちの松尾とくさんいわく、相撲の土俵入りの様な着付けではありますが、
ぜひ、いちど、おでかけくださいませ。
素敵な男性からのメールですが、相手が素敵なだけに、ヘタというか
ベタなことはかけへんやん。UPが遅れたことをお詫びします。
御馳走を辞書<32年前の岐阜市の成人式の引き出物>でひくと
1、もてなすこと
2、豪華な食事とあります。
御馳走字体の意味は、野山を走り回って、美味しいものをととのえる
ことであります。
よく、お客様にたずねられるのは、<どこで買っとんの?>です。
また、どこかの廉売スーパーで遭遇すると、<こんなとこで買っとんの?>であります。
店を持った当初は、中央市場まで仕入れに行っていました。
もちろん、今も、出かけますが、それ以前にアマチュアの時代のほうが
大人買いをしていたように思います。
<贅沢な材料を腹いっぱい食え>の感覚で、たとえば、海胆一箱を塩ふって
バーナーで焼くなんて料理もしていました。
豪快で評判も良かったことは、娘の友人が、今もって証言してくれます。
こうして、私の様な者が店を続けさせていただくうちには、ひとかけらの
海胆をいかにして、とうふとともに御満足いただけるかということに
苦心をしているように思います。
この苦心は、作る者の喜びであります。
どんなもんだいと胸をはりたくなります。私が喜びをいただいた上に
お代もいただける?もちろん、このブログへのお題もいただける?こんなけっこうなお商売はないと感謝です。
この男性には
<馳走であるか?かたじけない。じつに旨そうでござるな>という
セリフが似合いそうです。
江戸時代に白魚の料理を尊んだのは、
透明な白魚の頭が透けて見えたところが、脳の形が徳川家の葵のご紋ににていたからであります。徳川家康公が葵の紋のついた魚が獲れるとは、
万代の吉兆であると喜んだことだそうです。
白魚の脳ではありませんが、苦心をすることは脳をつかうことであります。
桐島洋子さんの本に聡明な女は料理が上手いというタイトルがあります。
うちの松尾とくさんいわく、ええおとこはええおんなをもとめる。
素敵なお客様には、素敵になりましょうか?
私は、材料を仕入れ、下ごしらえをしているときには、一心不乱で
身なりをかまいません。衛生しか脳にありません。
おもてなしのときには、着物をきます。
うちの松尾とくさんいわく、相撲の土俵入りの様な着付けではありますが、
ぜひ、いちど、おでかけくださいませ。
☆コッぺパンがどうしても食べたい。
というお客様がおみえです。
私は、トーストが好きですので、どうも、違和感があったのですが、
味付けパンとか、ホットドッグ用として、スーパーで売られているパンのことでした。これに、マーガリンを少しはさんで、ほんの20秒、レンジにかけます。これをかけすぎるとまずいです。
師の村上祥子が、福岡女子大学時代に通っていたお店のホットドッグが
ふんわりと蒸してあったそうですから、そのイメージで作るとベストです。
私は、完全予約の一客一亭の店を張らせていただいておりますから、
なんでもござれで復元いたします。
喜ぶ顔がみたいことと、自分への達成感かな?
コッぺパンという名称で売られているものは、フジパンの黒砂糖味で
クリームがはさんであります。これは、温めるのにはちょっと無理があるかな?
ミルクの入った丸いパンになると、これは、ハンバーガーでおなじみの
バンズでヨーロッパ型といわれていたようです。同じ配合でも、
ソーセージをはさめるように、細長くしたものがロールでアメリカ型といわれていたようです。
終戦後にララ物資といわれて、スキムミルクが学校給食用に、供給されて
なじんできた味です。
マーガリンでなく、バターを加えたのが上等のイメージで、また、ちょっと
成形が難しくて、楽しいので、手づくりパンの中でも、真っ先に試したくなるもののひとつです。
コッぺパンもですが、小麦粉の10%の砂糖と油脂、5%のスキムミルクが
入ると、トーストしなくても食べやすく、老化もおそいようです。
もっとも、このお客様に、当節流行の米分のパンを食べていただいたら、
目を輝かせていたので
、郷愁と重ねて流行は繰り返すのかもしれません。この方は、
大阪の天下茶屋の晴明小学校から、守口の三郷小学校に転校されておられますが、学校給食で揚げパンは食べた覚えがないそうです。
うちの娘たちは大好きなパンだったそうですが、また、私は明照幼稚園時代に食べた覚えがあるのですが、皆さんはどうですか?
ちなみに、脱脂粉乳とか練乳という世代とスキムミルクとかコンデンスミルクという世代で、断絶と段階が分かれるという説もあり。どちらかな?
というお客様がおみえです。
私は、トーストが好きですので、どうも、違和感があったのですが、
味付けパンとか、ホットドッグ用として、スーパーで売られているパンのことでした。これに、マーガリンを少しはさんで、ほんの20秒、レンジにかけます。これをかけすぎるとまずいです。
師の村上祥子が、福岡女子大学時代に通っていたお店のホットドッグが
ふんわりと蒸してあったそうですから、そのイメージで作るとベストです。
私は、完全予約の一客一亭の店を張らせていただいておりますから、
なんでもござれで復元いたします。
喜ぶ顔がみたいことと、自分への達成感かな?
コッぺパンという名称で売られているものは、フジパンの黒砂糖味で
クリームがはさんであります。これは、温めるのにはちょっと無理があるかな?
ミルクの入った丸いパンになると、これは、ハンバーガーでおなじみの
バンズでヨーロッパ型といわれていたようです。同じ配合でも、
ソーセージをはさめるように、細長くしたものがロールでアメリカ型といわれていたようです。
終戦後にララ物資といわれて、スキムミルクが学校給食用に、供給されて
なじんできた味です。
マーガリンでなく、バターを加えたのが上等のイメージで、また、ちょっと
成形が難しくて、楽しいので、手づくりパンの中でも、真っ先に試したくなるもののひとつです。
コッぺパンもですが、小麦粉の10%の砂糖と油脂、5%のスキムミルクが
入ると、トーストしなくても食べやすく、老化もおそいようです。
もっとも、このお客様に、当節流行の米分のパンを食べていただいたら、
目を輝かせていたので
、郷愁と重ねて流行は繰り返すのかもしれません。この方は、
大阪の天下茶屋の晴明小学校から、守口の三郷小学校に転校されておられますが、学校給食で揚げパンは食べた覚えがないそうです。
うちの娘たちは大好きなパンだったそうですが、また、私は明照幼稚園時代に食べた覚えがあるのですが、皆さんはどうですか?
ちなみに、脱脂粉乳とか練乳という世代とスキムミルクとかコンデンスミルクという世代で、断絶と段階が分かれるという説もあり。どちらかな?

肴は炙った烏賊がいい。
客商売は浮き草稼業なのでゲンをかつぎます。するめはあたりめといいます。
焦げる、する、落ちる、割れるなど、縁起の良くないことばをさけます。
私も、このブログには、できるだけ、やさしいことばをつかおうとおもっています。
もっとも、うちうちの習いは全くもってわるいです。
するめは寿留女という当て字もあるくらいですから、きっと良い味なのでしょう。
干した烏賊を
火で炙り、チリチリっとまるまってきたら、返して、熱々のうちに
さきます。マヨネーズとしょうゆに一味をかけるのが好きですが、
お客様で,「あんた暑いやろ」と先にさいてオーブントースターで、焼いたらと提案して下さった方がおみえです。
純情な私は、素直に焼いたら、かたくて、どうにもなりません。
ものごとには順番があると知りました。
せっかくの提案ですから、その場でひたひたの熱湯とレンジでもどして
ダシをとり、大豆と炊き合わせしました。
焼いた香ばしさで、とこぶしと炊き合わせるもかくならずという味に
仕上がりました。
こういったことが楽しめるのも1客1亭の店のおかげです。
焦げ付こうと、すろうと、なんとかとうふ屋桂庵がまわっていくお金があれば、幸せです。
幸せの年収は、官憲に搾取されない程度だそうです。
いくらなんやろね。
正月の買い物には、黒豆、昆布、田作りとともにリストアップされて
いたするめですが、どうなんでしょうね。
明治生まれの料理研究家のおせちレシピには、煮しめに入っておりますが、
大正生まれの料理研究家になると、鶏ガラになるように思えます。
また、鶏ガラのスープをつくっても、鶏の力がないと大豆を加えると
されておられるようになりました。
この方の跡をつぐ昭和生まれの料理研究家がおみえでなさそうなのが
残念です。
舌は5代だそうです。仕事を引き継ぐのは3代でも難しいのかな?
客商売は浮き草稼業なのでゲンをかつぎます。するめはあたりめといいます。
焦げる、する、落ちる、割れるなど、縁起の良くないことばをさけます。
私も、このブログには、できるだけ、やさしいことばをつかおうとおもっています。
もっとも、うちうちの習いは全くもってわるいです。
するめは寿留女という当て字もあるくらいですから、きっと良い味なのでしょう。
干した烏賊を
火で炙り、チリチリっとまるまってきたら、返して、熱々のうちに
さきます。マヨネーズとしょうゆに一味をかけるのが好きですが、
お客様で,「あんた暑いやろ」と先にさいてオーブントースターで、焼いたらと提案して下さった方がおみえです。
純情な私は、素直に焼いたら、かたくて、どうにもなりません。
ものごとには順番があると知りました。
せっかくの提案ですから、その場でひたひたの熱湯とレンジでもどして
ダシをとり、大豆と炊き合わせしました。
焼いた香ばしさで、とこぶしと炊き合わせるもかくならずという味に
仕上がりました。
こういったことが楽しめるのも1客1亭の店のおかげです。
焦げ付こうと、すろうと、なんとかとうふ屋桂庵がまわっていくお金があれば、幸せです。
幸せの年収は、官憲に搾取されない程度だそうです。
いくらなんやろね。
正月の買い物には、黒豆、昆布、田作りとともにリストアップされて
いたするめですが、どうなんでしょうね。
明治生まれの料理研究家のおせちレシピには、煮しめに入っておりますが、
大正生まれの料理研究家になると、鶏ガラになるように思えます。
また、鶏ガラのスープをつくっても、鶏の力がないと大豆を加えると
されておられるようになりました。
この方の跡をつぐ昭和生まれの料理研究家がおみえでなさそうなのが
残念です。
舌は5代だそうです。仕事を引き継ぐのは3代でも難しいのかな?
お彼岸と月見と一日遅れになりましたね。
両方とも、だんごがつきものです。
松尾家では、明治4年生まれのひいおばあさんに教わった料理を、
松尾さいさんが作ってくれました。
米の粉を、同じ町内のY製粉で1キロ買ってきました。
だいたい
4分の1の分量の粉を使って、松尾さいさんが、<にえきりの熱い湯>をやかんの口から注ぎながら、箸でまとめ、手を氷水で冷やしながら、ねりあげます。水やぬるま湯で練るよりも、汲水がよいぶん、やわらかい生地ができます。手粉をつかわないので、でんぷんのアルファ化もよく、まとまりもいいです。
芋名月にちなんで、サトイモのような形にします。
本物のサトイモの皮をむき、醤油、砂糖で調味したとろみのある煮汁のなかに、サトイモの形のだんごをいれて、完全に火が通るまで、煮ます。
このとろみのある煮汁をふきこぼれさせないように煮るかげんが、だんごの
火どおりにちょうどいいのです。
また、熱々のだんごを熱々の煮汁に入れることで、味のしみ込み具合も
よくなるようです。
松尾太郎くんの健康を気づかって、今年の煮汁は、かなり薄味で薄色でした。本来は、長良の山川醸造の濃い醤油で真っ黒に煮上げます。
そうそう、ここの醤油が、<アイスクリームにかけるしょうゆ>で全国ネットになりましたね。
お客様と金崋山ロープウェーに行った時に見つけて、地元だけに、
<おめめがくるくる>しました。カラメルのようなコクと色はグーですから、よその土地でみかけたら、お土産にと友人知人の分まで買いあさったにちがいありません。
お彼岸のだんごは、あまり作ったことがありません。
ただ、とうふを入れた白玉だんごは作ります。
料理のあしらいに、5グラムほどですはまだんごを作ったこともあります。
とうふ屋桂庵の名を名乗ってはおりますが、こちらから、豆腐の名を
だして、料理の説明をするのも重なるといかがなものかと反省があります。
創業当時、ココイチの宗次徳二氏に、奥様は、こうおっしゃたそう
です。<お客様にお水ください>と言われたら負けよ。
心地よくしていただくのに、勝ち負けはないかもしれませんが、私は
自分との戦いだと思っています。
私に、垂井の南宮大社を戦いの神様だと諭してくださったのは、
両香堂のおばあさんです。ここで、買い物をする度に、教わったことがあります。買い物は、私の心だったかもしれませんね。
両方とも、だんごがつきものです。
松尾家では、明治4年生まれのひいおばあさんに教わった料理を、
松尾さいさんが作ってくれました。
米の粉を、同じ町内のY製粉で1キロ買ってきました。
だいたい
4分の1の分量の粉を使って、松尾さいさんが、<にえきりの熱い湯>をやかんの口から注ぎながら、箸でまとめ、手を氷水で冷やしながら、ねりあげます。水やぬるま湯で練るよりも、汲水がよいぶん、やわらかい生地ができます。手粉をつかわないので、でんぷんのアルファ化もよく、まとまりもいいです。
芋名月にちなんで、サトイモのような形にします。
本物のサトイモの皮をむき、醤油、砂糖で調味したとろみのある煮汁のなかに、サトイモの形のだんごをいれて、完全に火が通るまで、煮ます。
このとろみのある煮汁をふきこぼれさせないように煮るかげんが、だんごの
火どおりにちょうどいいのです。
また、熱々のだんごを熱々の煮汁に入れることで、味のしみ込み具合も
よくなるようです。
松尾太郎くんの健康を気づかって、今年の煮汁は、かなり薄味で薄色でした。本来は、長良の山川醸造の濃い醤油で真っ黒に煮上げます。
そうそう、ここの醤油が、<アイスクリームにかけるしょうゆ>で全国ネットになりましたね。
お客様と金崋山ロープウェーに行った時に見つけて、地元だけに、
<おめめがくるくる>しました。カラメルのようなコクと色はグーですから、よその土地でみかけたら、お土産にと友人知人の分まで買いあさったにちがいありません。
お彼岸のだんごは、あまり作ったことがありません。
ただ、とうふを入れた白玉だんごは作ります。
料理のあしらいに、5グラムほどですはまだんごを作ったこともあります。
とうふ屋桂庵の名を名乗ってはおりますが、こちらから、豆腐の名を
だして、料理の説明をするのも重なるといかがなものかと反省があります。
創業当時、ココイチの宗次徳二氏に、奥様は、こうおっしゃたそう
です。<お客様にお水ください>と言われたら負けよ。
心地よくしていただくのに、勝ち負けはないかもしれませんが、私は
自分との戦いだと思っています。
私に、垂井の南宮大社を戦いの神様だと諭してくださったのは、
両香堂のおばあさんです。ここで、買い物をする度に、教わったことがあります。買い物は、私の心だったかもしれませんね。
私は運動会は苦手です。
今でもスレンダーではありませんが、超肥満児でしたので、
走れば、格差をつけてのどんじり。クラスのためには、できたら、
出場辞退されたしと当時の担任が望むほどでした。
そのころは、イジメなどは、認知されておらず、イジメられる方にも
問題があると、職員室まで、陳情にいっても、一蹴されておりました。
真面目な家系でしたので、登校拒否もしなかったのでしょうね。
唯一の楽しみは弁当の時間かな?
懐かしい写真があります。
一家で応援よろしく、運動場で弁当を広げております。
松尾とくさんが、子どもを背負ったままで、いなりずしをほおばっています。サーモスなんてなかった時代ですから、ガラスの魔法瓶を風呂敷で
からげて持っていきました。子どものプラスチックの水筒のふたには磁石がついていました。
いなりずしの質問がありましたので、書きます。
江戸時代の末期頃
名古屋あたりが発祥です。豊川稲荷?
東西に広まったみたいですね。文献によると、江戸では天保年間。
キツネが油揚げが大好きなことから、キツネは神様のお使いで、しのだの森に住むところから、しのだずし。
その形から、俵ずしという方もみえました。俵積むなんて縁起がいいですね。
巻きずしとセットにすると、助六となりますが、これは歌舞伎からの銘々で、助六が色男の役者、揚げ巻が京都島原の遊女太夫であったことからです。
関東のいなりは、油揚げを四角に切りますが、関西では三角に切り
ます。関西は具が入りますが、関東は、あまり入れません。
岐阜では、お店によって違うので、松尾とくさんは、合わせて開くなんて
サービスもしていました。
お客様によると、子どもの好きなものでということで、おにぎりと赤いウインナーに卵焼きだったとのことです。そういえば、これを定番メニューにいれておられ、出前をなさっておられるたこ焼き屋さんが、やながせにありますね。
また、運動会のお弁当に限っては、反応があるみたいですよ。
9月5日の朝日新聞のひととき欄
<愉快なまずいカレー>の投稿者の光子さんは、私と同じ年ですが、
気持ちがよくわかります。りえさんの気持ちもよくわかります。
運動会の弁等は美味しい!素直にいいましょう。
今でもスレンダーではありませんが、超肥満児でしたので、
走れば、格差をつけてのどんじり。クラスのためには、できたら、
出場辞退されたしと当時の担任が望むほどでした。
そのころは、イジメなどは、認知されておらず、イジメられる方にも
問題があると、職員室まで、陳情にいっても、一蹴されておりました。
真面目な家系でしたので、登校拒否もしなかったのでしょうね。
唯一の楽しみは弁当の時間かな?
懐かしい写真があります。
一家で応援よろしく、運動場で弁当を広げております。
松尾とくさんが、子どもを背負ったままで、いなりずしをほおばっています。サーモスなんてなかった時代ですから、ガラスの魔法瓶を風呂敷で
からげて持っていきました。子どものプラスチックの水筒のふたには磁石がついていました。
いなりずしの質問がありましたので、書きます。
江戸時代の末期頃
名古屋あたりが発祥です。豊川稲荷?
東西に広まったみたいですね。文献によると、江戸では天保年間。
キツネが油揚げが大好きなことから、キツネは神様のお使いで、しのだの森に住むところから、しのだずし。
その形から、俵ずしという方もみえました。俵積むなんて縁起がいいですね。
巻きずしとセットにすると、助六となりますが、これは歌舞伎からの銘々で、助六が色男の役者、揚げ巻が京都島原の遊女太夫であったことからです。
関東のいなりは、油揚げを四角に切りますが、関西では三角に切り
ます。関西は具が入りますが、関東は、あまり入れません。
岐阜では、お店によって違うので、松尾とくさんは、合わせて開くなんて
サービスもしていました。
お客様によると、子どもの好きなものでということで、おにぎりと赤いウインナーに卵焼きだったとのことです。そういえば、これを定番メニューにいれておられ、出前をなさっておられるたこ焼き屋さんが、やながせにありますね。
また、運動会のお弁当に限っては、反応があるみたいですよ。
9月5日の朝日新聞のひととき欄
<愉快なまずいカレー>の投稿者の光子さんは、私と同じ年ですが、
気持ちがよくわかります。りえさんの気持ちもよくわかります。
運動会の弁等は美味しい!素直にいいましょう。
さんま、にいがいか、しょっぱいか? さんま、焼いても、家焼くな。
炭火で焼けば旨いけど、七輪も、持っているけど、誰が焼くのか迷います。
テフロンフライパンで焼く方法も有るけどね。出た脂をどう生かすかが旨味のひきだしかたです。
料理に自信がない人は、塩さんまを買うのがおすすめです。ただし、塩さんまであることをチョットばかり考慮して、添えに気をつかいましょう。くれぐれも、こういう時は、チューブは、使わないこと。
私が、育った家は、おろし生姜でした。縁が、あった家は、おろし大根でした。
もっと、グレードをあげるなら、大根おろしに長芋を細かくたたいたものを混ぜましょう。
それに、カボスの輪切りをそえてね!カボスの皮は、とても硬いので薄く切るのには、根性を入れやなアカンので、レモンでもいいよ。
☆何故?大根おろしと長芋かというと、大根おろして、美味しいけど水分が多いのでチョット箸にかかりにくいですよね。でも絞ってしまうと損やンか、大根おろしと長芋は、白いから混ぜてもわからへんけど粘りがチョットばかりつなぎになって食べやすいのです。
そんなこんなで、さんまの美味しい食べ方は色々。
◎さんまの山椒煮
山椒とねぎの香りでさんまも際立つ美味しさ
◎さんまの揚げ漬け
オニスラを添えて
◎さんまごはん
刺身で食べられるほどの新鮮なもので、熱々ご飯にかけて
◎さんまの眼鏡焼き
さんまの細長い形を生かして三枚おろしで、下味つけたものを端から巻き込み焼く。
これは、橋詰先生と懐石料理の勉強会をしていた時のレシピです。眼鏡みたいに二切れ盛りつけてね。
こんな料理は楽しいけど、結局のところは、複雑なモノはお客様料理で長続きしなかったかな?先生は、長女の同級生のお母様でしたが、私と正反対の方でした。
おやさしく しとやか ひかえめという方です。
さんまのことを、岐阜県でも、可児地方では、さよりと呼んでいます。
海の魚でも,これは別物。私と先生みたいかな?
炭火で焼けば旨いけど、七輪も、持っているけど、誰が焼くのか迷います。
テフロンフライパンで焼く方法も有るけどね。出た脂をどう生かすかが旨味のひきだしかたです。
料理に自信がない人は、塩さんまを買うのがおすすめです。ただし、塩さんまであることをチョットばかり考慮して、添えに気をつかいましょう。くれぐれも、こういう時は、チューブは、使わないこと。
私が、育った家は、おろし生姜でした。縁が、あった家は、おろし大根でした。
もっと、グレードをあげるなら、大根おろしに長芋を細かくたたいたものを混ぜましょう。
それに、カボスの輪切りをそえてね!カボスの皮は、とても硬いので薄く切るのには、根性を入れやなアカンので、レモンでもいいよ。
☆何故?大根おろしと長芋かというと、大根おろして、美味しいけど水分が多いのでチョット箸にかかりにくいですよね。でも絞ってしまうと損やンか、大根おろしと長芋は、白いから混ぜてもわからへんけど粘りがチョットばかりつなぎになって食べやすいのです。
そんなこんなで、さんまの美味しい食べ方は色々。
◎さんまの山椒煮
山椒とねぎの香りでさんまも際立つ美味しさ
◎さんまの揚げ漬け
オニスラを添えて
◎さんまごはん
刺身で食べられるほどの新鮮なもので、熱々ご飯にかけて
◎さんまの眼鏡焼き
さんまの細長い形を生かして三枚おろしで、下味つけたものを端から巻き込み焼く。
これは、橋詰先生と懐石料理の勉強会をしていた時のレシピです。眼鏡みたいに二切れ盛りつけてね。
こんな料理は楽しいけど、結局のところは、複雑なモノはお客様料理で長続きしなかったかな?先生は、長女の同級生のお母様でしたが、私と正反対の方でした。
おやさしく しとやか ひかえめという方です。
さんまのことを、岐阜県でも、可児地方では、さよりと呼んでいます。
海の魚でも,これは別物。私と先生みたいかな?
暑さとは関係なく、日没は6時になってきたところが、やっぱり、秋になったんだと
実感します。
一茂くんからの発信は、ヒレ酒の器です。直径7センチくらいで、180CCくらい入る蓋つきの湯のみによく似ています。
私自身は、ヒレ酒ってそんなに好きではないのですが、呑める殿方には涎モノだそうです。
今日のお客様にお聞きしましたら、
初めて呑んだのは、新幹線の中で、味も素っ気もなく、なまぐさかったそうです。
後日に、代理店の接待で、割烹で呑まれて、感動モノだったそうです。
ふぐのヒレを目の前で、まるまるまで焼いてくれて、その香ばしい匂いがはなについたところで熱くした日本酒をそそいで、蓋をしたところで、一息置く。
その後で、何杯注がれても、旨く感じてきりがなかったそうです。
缶だか瓶だかの蓋を開けるのと、器を開けるのと、差があって当然。
一茂くんからの見本は17個ありましたが、写真のものは、そのなかでも、私の好きな図柄です。
<網目>の模様というのは、縁起がいいものです。
網目が永遠に繰り返すというところから、永遠に続くものとして、
また、商売の世界では、<福をすくい取る>とされています。
ふぐをふくとかけて縁起。
岐阜では、ふぐ清さんとかふぐ一さんとか、ふぐの名を張りますが、東京の田村隆氏の近くには、ふく源さんがあります。
ここは、ふくの名に恥じない名女将がおられるとのこと。
秋の彼岸から、春の彼岸までしか、営業をなさりませんが、休業しておられる間も、毎日座敷の畳をふくそうです。ふくは福。
真夏の座敷にはクーラーがないのに、きりっとして清々しいそうです。
まだ、暑いのに、ヒレ酒の熱さを楽しめるお客様は、そんな粋を望んでおられるのかも
しれません。
そうそう、飛騨高山の上三之町 三川屋欅店で、5種類の酒を利かせていただきました。
にごりとどぶろくは別物と初めて感動しました。
猪口代として100円払うだけという商売に清々しさを感じます。
実感します。
一茂くんからの発信は、ヒレ酒の器です。直径7センチくらいで、180CCくらい入る蓋つきの湯のみによく似ています。
私自身は、ヒレ酒ってそんなに好きではないのですが、呑める殿方には涎モノだそうです。
今日のお客様にお聞きしましたら、
初めて呑んだのは、新幹線の中で、味も素っ気もなく、なまぐさかったそうです。
後日に、代理店の接待で、割烹で呑まれて、感動モノだったそうです。
ふぐのヒレを目の前で、まるまるまで焼いてくれて、その香ばしい匂いがはなについたところで熱くした日本酒をそそいで、蓋をしたところで、一息置く。
その後で、何杯注がれても、旨く感じてきりがなかったそうです。
缶だか瓶だかの蓋を開けるのと、器を開けるのと、差があって当然。
一茂くんからの見本は17個ありましたが、写真のものは、そのなかでも、私の好きな図柄です。
<網目>の模様というのは、縁起がいいものです。
網目が永遠に繰り返すというところから、永遠に続くものとして、
また、商売の世界では、<福をすくい取る>とされています。
ふぐをふくとかけて縁起。
岐阜では、ふぐ清さんとかふぐ一さんとか、ふぐの名を張りますが、東京の田村隆氏の近くには、ふく源さんがあります。
ここは、ふくの名に恥じない名女将がおられるとのこと。
秋の彼岸から、春の彼岸までしか、営業をなさりませんが、休業しておられる間も、毎日座敷の畳をふくそうです。ふくは福。
真夏の座敷にはクーラーがないのに、きりっとして清々しいそうです。
まだ、暑いのに、ヒレ酒の熱さを楽しめるお客様は、そんな粋を望んでおられるのかも
しれません。
そうそう、飛騨高山の上三之町 三川屋欅店で、5種類の酒を利かせていただきました。
にごりとどぶろくは別物と初めて感動しました。
猪口代として100円払うだけという商売に清々しさを感じます。

あるお客様からの質問。
板前とシェフの気質の違いは?と聞かれました。
フレンチは、1年間日曜日の昼にスタジエに通いました。
イタリアンは、火曜日の夜に3カ月間に通いました。
シェフは教えるということに積極的だったと思います。あまり下働きをするよりも、即戦力にしたいという感じかな。
報酬はいただいていません。
仲良くしてくださった板前さんのことを思い出すと、ちょっと気質が
違うように思います。
その名も板前新三さんとの出会い。昭和52年に71歳。山口県萩の生まれで
19歳で、万亀楼出身の石田久兵衛氏に12年師事。のち、大阪へ出て修行。戦争をへて、京都で料理長。菊水開店と同時に料理長となる。
詳しいことは柴田書店の『味を奏でる人々』を読んで下さると板前の
気質がよくわかると思いますが、とにかく、筋を通すことを徹底的に
教育されます。修業は苦しければ苦しいほど人を育てるとされた年代です。
理不尽なことも乗り越えてです。そして礼儀も修行。恥が生きる。そのためには、失敗もして、それでやっと素直になれる。今から思うと、よく私のようなものに会ってくださったと思います。感謝。いつか料理屋の店を
持ちたいと訴えた私に『あなたのうちは人通りがありますか』と聞いてくださいました。奥様は心をこめて私にお茶をたててくださいました。
のれんの重さを思ってくださったのでしょう。本当に親切にしてくださいました。板前は厳しい、おそろしい半面、相手を見て一生懸命になってくれるところがあるのです。その代わりに完全な縦型社会です。だから板前とやくざと誤解されるところもあるのです。板前がやくざではなく、板前になれなかった人間がやくざに近くなるのかな。
柳ヶ瀬時代にはそんな人が周りにいたような気がします。ちょっと時代にはそぐわない気がしますが、板前新三さん言葉で締めくくります。
『板前はまるでやくざのように言われた時代もありますが、孫ができ、こうして何代も続いてきてれば、決してやくざではなく、まっとうな社会人です。今までは、孫にお年玉をあげていましたが、今度からは返してもらえるようになりました』
PS.お客様からメールがありました。
『なるほど、やくざと板前の気質はいっしょですね。昔のやくざと板前は命を賭けて仕事していたということですね』
包丁一本さらしに巻いて旅に出るのも板場の修業。
さらしを腹に巻いてドスを刺すのがやくざ。
板前とシェフの気質の違いは?と聞かれました。
フレンチは、1年間日曜日の昼にスタジエに通いました。
イタリアンは、火曜日の夜に3カ月間に通いました。
シェフは教えるということに積極的だったと思います。あまり下働きをするよりも、即戦力にしたいという感じかな。
報酬はいただいていません。
仲良くしてくださった板前さんのことを思い出すと、ちょっと気質が
違うように思います。
その名も板前新三さんとの出会い。昭和52年に71歳。山口県萩の生まれで
19歳で、万亀楼出身の石田久兵衛氏に12年師事。のち、大阪へ出て修行。戦争をへて、京都で料理長。菊水開店と同時に料理長となる。
詳しいことは柴田書店の『味を奏でる人々』を読んで下さると板前の
気質がよくわかると思いますが、とにかく、筋を通すことを徹底的に
教育されます。修業は苦しければ苦しいほど人を育てるとされた年代です。
理不尽なことも乗り越えてです。そして礼儀も修行。恥が生きる。そのためには、失敗もして、それでやっと素直になれる。今から思うと、よく私のようなものに会ってくださったと思います。感謝。いつか料理屋の店を
持ちたいと訴えた私に『あなたのうちは人通りがありますか』と聞いてくださいました。奥様は心をこめて私にお茶をたててくださいました。
のれんの重さを思ってくださったのでしょう。本当に親切にしてくださいました。板前は厳しい、おそろしい半面、相手を見て一生懸命になってくれるところがあるのです。その代わりに完全な縦型社会です。だから板前とやくざと誤解されるところもあるのです。板前がやくざではなく、板前になれなかった人間がやくざに近くなるのかな。
柳ヶ瀬時代にはそんな人が周りにいたような気がします。ちょっと時代にはそぐわない気がしますが、板前新三さん言葉で締めくくります。
『板前はまるでやくざのように言われた時代もありますが、孫ができ、こうして何代も続いてきてれば、決してやくざではなく、まっとうな社会人です。今までは、孫にお年玉をあげていましたが、今度からは返してもらえるようになりました』
PS.お客様からメールがありました。
『なるほど、やくざと板前の気質はいっしょですね。昔のやくざと板前は命を賭けて仕事していたということですね』
包丁一本さらしに巻いて旅に出るのも板場の修業。
さらしを腹に巻いてドスを刺すのがやくざ。
私には、『母と姑がなく、頭を下げることもしなかった代わりに、
教えをこうチャンスもないままに、主婦の生活を続けてきました。
恥をかき、失敗を重ね、やっと体得したことをここに書きとめて
まいりました。
簡単なことといわれる家事も、頭で考えるのと実際にするのとでは
大違いです。人生は成功の積み重ねと考えていましたが、
ひょっとしたら、失敗例の上に成り立っているのではないかと、つくづく思います。』
師の村上祥子との出会いの本『わたしの家事㊙ノート』1985年のあとがきに書かれています。
この本の中身を全て実行しようと心がけてきました。
32ページ『さらしのふきんは使い勝手がいい』
このことについて書きます。
欧米の女性に料理を教えることから、師はスタートしました。
家事の仕方も、日本とは全く異なっています。その当時の日本人の台所には
頭のちょっと上あたりにふきん掛けがあって、乾かしては使っていたのですが、濡れたふきんを一か所でストックして一日分をまとめ洗い。この発想は当時にはありませんでした。市販のふきんは、うすくて小さいので、
グラスを包んでふけません。ふちが裁ちっぱなしも糸のほつれとで
頭ぐしゃぐしゃ腹立ちます。欧米の女性が、故国のお母さんにふきん用の
布(チーズクロス)を送ってもらうと頼むくだりでびっくり。
その当時の送料を考えると、やはり姑ではなく母なんですね。
さらし木綿一反(約10m)1,000円で15枚とれるとのこと。
私が作ると13枚のことや14枚のこともあります。
幅の倍の長さのところに印をつけて両手に持ってその長さで屏風だたみに
していき、ワになっているところにはさみをいれる。それだけのことが
25年たってもできないのです。私はベビー用品売り場でおしめ用に
たたんであるものを買ってきます。14枚どりになるので、一度、師のふきんと長さを合わせてみたいものです。私は、結婚して大塚さんになり、また
縁があって松尾さんになりました。一生懸命なことは負けなかったけど、
母にも姑にも仕えたという感じがありません。わがままで自分勝手だと思います。
このふきんだけは、娘が嫁ぐときに作って持たせました。
帰省すると苛性ソーダで煮洗いをして、リフレッシュして持たせます。
師のレシピもふきんで胡瓜もみをしぼることからペーパータオルで
ぬぐう時代に変わってきました。すり鉢の下に濡れぶきんを敷いて
がたつきをなくす料理からスピードカッターでビーンとする料理に
変わっています。ただ、てきぱき料理をこなす心意気だけは
伝えたく、ふきんを隔年に作り変えています。これも、姑根性かな。
私は師が訪ねてくるときが一番緊張し、大掃除に励みます。
心あるお客様が昨日こんなことを言ってくださいました。
『村上祥子先生のコピーでなくなった。松尾桂子は別物。村上祥子先生は
出版社も含めてみんなのもの』
師の本は200冊を超えました。
教えをこうチャンスもないままに、主婦の生活を続けてきました。
恥をかき、失敗を重ね、やっと体得したことをここに書きとめて
まいりました。
簡単なことといわれる家事も、頭で考えるのと実際にするのとでは
大違いです。人生は成功の積み重ねと考えていましたが、
ひょっとしたら、失敗例の上に成り立っているのではないかと、つくづく思います。』
師の村上祥子との出会いの本『わたしの家事㊙ノート』1985年のあとがきに書かれています。
この本の中身を全て実行しようと心がけてきました。
32ページ『さらしのふきんは使い勝手がいい』
このことについて書きます。
欧米の女性に料理を教えることから、師はスタートしました。
家事の仕方も、日本とは全く異なっています。その当時の日本人の台所には
頭のちょっと上あたりにふきん掛けがあって、乾かしては使っていたのですが、濡れたふきんを一か所でストックして一日分をまとめ洗い。この発想は当時にはありませんでした。市販のふきんは、うすくて小さいので、
グラスを包んでふけません。ふちが裁ちっぱなしも糸のほつれとで
頭ぐしゃぐしゃ腹立ちます。欧米の女性が、故国のお母さんにふきん用の
布(チーズクロス)を送ってもらうと頼むくだりでびっくり。
その当時の送料を考えると、やはり姑ではなく母なんですね。
さらし木綿一反(約10m)1,000円で15枚とれるとのこと。
私が作ると13枚のことや14枚のこともあります。
幅の倍の長さのところに印をつけて両手に持ってその長さで屏風だたみに
していき、ワになっているところにはさみをいれる。それだけのことが
25年たってもできないのです。私はベビー用品売り場でおしめ用に
たたんであるものを買ってきます。14枚どりになるので、一度、師のふきんと長さを合わせてみたいものです。私は、結婚して大塚さんになり、また
縁があって松尾さんになりました。一生懸命なことは負けなかったけど、
母にも姑にも仕えたという感じがありません。わがままで自分勝手だと思います。
このふきんだけは、娘が嫁ぐときに作って持たせました。
帰省すると苛性ソーダで煮洗いをして、リフレッシュして持たせます。
師のレシピもふきんで胡瓜もみをしぼることからペーパータオルで
ぬぐう時代に変わってきました。すり鉢の下に濡れぶきんを敷いて
がたつきをなくす料理からスピードカッターでビーンとする料理に
変わっています。ただ、てきぱき料理をこなす心意気だけは
伝えたく、ふきんを隔年に作り変えています。これも、姑根性かな。
私は師が訪ねてくるときが一番緊張し、大掃除に励みます。
心あるお客様が昨日こんなことを言ってくださいました。
『村上祥子先生のコピーでなくなった。松尾桂子は別物。村上祥子先生は
出版社も含めてみんなのもの』
師の本は200冊を超えました。